ハシモトナオのブログ

ハシモトナオ a.k.a. グラフィックゴリラの個人ブログ。

はじめまして、ハシモトナオです。

 

 

はじめまして、の方も、ごぶさた、の方もこんにちは。

 

ハシモトナオと申します。

 

昨年以来、半年ぶりのブログ更新となります。

 

と言いますのも、2016年より3年続けてきた

乃木坂のファンアート(二次創作)から身を引きまして、

その間にもちょくちょく手を出していた

作字/ロゴ制作の方に本格的に注力しようと思い、

つい最近方針が定まりましたので、久々にブログを書こうと思った次第です。

 

ファンアートから身を引いた理由に関してざっくり言及しますと、

ファンアートを制作する際の1枚1枚にかかる精神的労力が

あまりにも肥大化してしまったというところが大きいです。

 

他に理由が様々あるんですが、今はあまり振り返りたくないので、

これまでとさせて頂きます。

 

 

 

さて、イラストレーションを基礎としたファンアートから、

グラフィックデザインを基礎とした作字に移ったわけですが、

本来の私の学と言いますか、そもそもの本分はこちらにあたります。

 

段階で言いますと二次創作から一次創作

(もしくはより一次創作寄りな二次創作)へと転換したわけです。

 

今この文を読んでいる方の中で、「そもそも作字って何?」と思われている方も

いらっしゃると思いますので、説明を致します。

 

「作字」と一口に言いましても、各所においてそれぞれ意味が異なっておりますので、

ここではインターネットの創作ムーブメントにおける「作字」について。

 

作字とは現在社会に溢れかえっている「フォント」を中心とした

ステマチックなタイポグラフィからひとつ外れたオリジナルな

、自由な発想着想を元に作られるタイポグラフィ、いわば「字」です。

 

工業製品としての「フォント」があるとすれば、手工芸としての「作字」があるわけです。

 

百聞は一見にしかず、私の過去作をまとめたものをここでお見せします。

 

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ちょっとロゴも混じってるんですが、厳密な差につきましては言及を控えさせて頂きます。

(つい最近まで私もロゴと作字の制作スタイルになかなか差をつけられないでいた為。)

 

 

 

今までは乃木坂のファンアートとしてイラストレーション/絵を用いていたわけですが、

これからはそこまでジャンルを限定せず、モチーフは広く扱っていこうと思っております。

 

実はある程度今後の作字の制作方針は立ったものの、

現状はまだ実行に移しきれていないので、言及いたしません。

 

…なんか今日のブログ言及しないのが多いな笑

 

まあいいんです。言葉ってのは半端にもの言うと後が続かないので。

 

友人数人と話して方針が定まったのですが、

その中で作字とロゴの制作スタイルの明確な違いを提示してもらったのです。

 

「作字はモーターショーの車みたいなもの」

 

なるほど、と思いました。

 

つまりロゴは商品やデザインとしてのグラフィックであり、

看板のように、どういうものを提示することが出来るのかが作字なんじゃないかと。

 

最終的に決まった方針は別に未来や社会の為になるとも思ってるわけでもなく、

ただ自分がやってみたかったことが上手いこと打ち出せるような

環境と理屈を手にしただけなのですが。

 

私は高校生の頃からデザインなるものに触れてきたんですが、

紆余曲折を経て、原野に放り出されて、

しばらくして「私はデザインが好きだったというより、

グラフィックが好きだったんだな」と気づきました。

 

かつてはグラフィックとデザインというものを

グラフィックデザイン」としてまとめて思考するから、

色んなズレが起きてくるのだと。

 

そしてそれらを「好きなこと」と「得意なこと」と分けて、どう整理すればいいのか。

 

頭ではおおいに納得していますが、これをもっと実感に、

身体で納得を出来ればいいなと思い、今後の制作などに勤しみたいと思います。

 

 

 

長々と失礼しました。

まあ、なんというか、がんばります。

 

初期衝動を糧にして、原始的な喜びを求めて。

 

大園桃子さん。20歳の誕生日。忘れたくない想い。

 

みなさま、おはようございます。

 

一人のしがない乃木坂絵描き(まだ言ってる)、ハシモトナオです。

 

まずはですね、大園桃子さん20歳のお誕生日おめでとうございます!

 

最初はあんなに泣いていた桃子さん、今はもう立派になられて20歳ですよ。

 

3年で大きく成長されてたなあ、過去2回生誕絵を描いてきた身としても感慨深いものがございます。

 

 

 

さて、今回は珍しく作品解説をしていこうと思います。

 

というのも、今回紹介するのが本日アップした大園桃子さんの20歳の誕生日をお祝いする絵。

 

それがこちらでございます。

 

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今回は通常の制作プロセスと若干異なっており、仕上がり方も全く違うからです。

 

この一見かわいらしい大園桃子さんの絵。

 

この背景にある想いをお話させて頂きます。

 

 

 

今回も2,3ヶ月前からどういう絵を描こうかとずっと考えており、なんとなくどういうものを打ち出すか考えておりました。

 

そりゃあ一推しに対するプレゼントですからね、いっぱいいっぱい考えますよ。

 

しかし、考えていたことが一瞬で覆されることが起きました。

 

 

 

大園桃子さん、今シングル活動休止。

 

 

 

そこで私はこう思ったのです。

 

「今アイドル活動をお休みしている桃子さんに、プレゼントとして『アイドルアイドルしている姿の大園桃子さんの肖像』を見せると、一体本人はどう思うのだろうか。」

 

元々、一人間として表現し、どんな人もアイドル/オタク関係なく人間として接しようとし、「アイドル」というものに対して常に疑問を持つ桃子さん。

 

そんな印象を持っていた私にとって、アイドルアイドルしている桃子さん、制服や衣装を着ている桃子さんを描く気がどうしても起きなくなってしまったのです。

 

すべて一からやり直しです。

 

そこで私は「人間としての大園桃子さん」を肯定したいと思い、舵を切り替えました。

 

それからまた一カ月間、ずーっと悩んでいたらあっという間に五日前。

 

そこで思いついたのが「プリクラ」です。

 

19・20歳の女の子の表現行為やリアル、楽しみの象徴としてプリクラを持ってこようと決めたのです。

 

 

 

ここで重要になってくるポイントですが、プリクラは主に2つの概念で構成されています。

 

「盛りという変形」と「落書きという加算」です。

 

「盛る・変形」というのはいわば現実の曲解ですので、大園桃子という人に対して最も反するものです。

 

ですので今回この概念は除外しようと考えました。

 

あくまでまっさらな大園桃子さんを表現する。

 

それに即するように、服もただのまっさらなTシャツにしています。

 

 

 

そして「落書きという加算」、今回はここを焦点に絞りました。

 

それは己を表現する行為、落書きとは至って直感的で、素直に込み上げてきたものを表現する行為です。

 

まさにここだと。

 

クラウンや頬の斜線を落書きとして導入したり、桃子さんにまつわるマスコット達をスタンプとして導入する。

 

実際、桃子さん自体の肖像とそれ以外の要素では使用しているペンも違います。(肖像の場合だと、上からブロウをかけて、カメラ特有のブレを演出しています。)

 

 

 

そして、その落書きのノリで至って感覚的に処理した「大園桃子」の作字。

 

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黒枠で隅っこに年月日と、「MOMOPRI」の文字。

 

などなど、随所にプリクラであることの意識を落とし込んでいます。

 

そして中央には大園桃子さんの最大のチャームポイントである、明朗快活な笑顔。

 

あの笑顔を真のもだと信じたいという想いを込めました。

 

 

 

まっさらな姿で笑顔の大園桃子さんの肖像(写真)。

 

そしてその上から一人の女の子、一人の人間として表現すること(落書き)。

 

しかしそれもまたアイドルとして消費されていく(プリクラ)。

 

それでも私はそのまま表現しようとするあなたを肯定したい。

 

 

 

一見かわいらしいイラストですが、裏側にはこのような想いと背景があり、分かりにくい構造としては「イラストレーション」というより「アート」。

 

まさに「ファン」としての「アート」。

 

またファンアートとして変な方向にいってしまったなあ、という後味が今漂っています。

 

まあ、それもある意味オタク的なんだろうけど。

 

拗らせてるなあって感じがします。

 

 

それでも私は「そのまま」の大園桃子さんを素直に肯定したかった。

 

だから完全に自己満足な気もしますが(どうせ本人には見せることもないだろうし)、まあ、これでいいか、と。

 

 

 

別にアイドルとしての桃子さんを否定するわけではありませんし、なんなら大いに肯定しますし、もっと見たいという想いもあります。

 

ただ、今ここで表現することとしては、少なくとも私の中では違ったなあ、と。

 

色んな考えや感情、想いが交錯していますが、それをそのまま定着させた、という感じです。

 

この想いを忘れない為に。

 

そして何より桃子さんへの「生まれてきてくれてありがとう」を表現する為に。

 

 

 

色々一発書きでここに書き込み、なかなか分かりにくかったかもしれないのはお粗末さまです、すみません。

 

 

 

改めて大園桃子さん、20歳のお誕生日おめでとうございます。

 

生まれてきてくれてありがとう。

 

 

 

ちょっと何言ってるか分からない。

 

こんばんは、ハシナオです。

 

6月中旬、上半期も終わろうとしていますが、私は相も変わらず5月を引き摺ったまま停滞気味です。

 

温度もさながらその一因、夜すら20℃近く、ヒイヒイ言う枕元。地球ぶっ壊れ認定です。

 

そこにこれから梅雨も重なってくるでしょう。生きてるのが不思議なくらい。

 

 

 

さて、近況といえば、YOSTEBITSも2枚目のステッカーをリリースし、前回に引き続きたくさんお得意様に買って頂きました。

 

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握手洗礼ステッカー。

 

テーマ選定に時間はかかりましたが、その後の工程は難なく制作することができました。

 

YOSTEBITSの全体の現状としては悪くはないという感じです。

 

制作や発注、梱包に発送作業などなど、自分でやりながら結構勉強になることが多いです。

 

昔の商売人は「勉強させて頂いております」などとよく言うものですが、本当にそんな感じ。

 

かなり感覚でやってる節がありつつも、順調といえば順調です。

 

 

 

そして現在制作中の3作目のステッカー。

 

先に告知させて頂きますと、今回もアイドルシリーズからのリリースで、設立当初の予定通り、この3作のリリースを以て一旦アイドルシリーズから離れ、別のシリーズへの制作へと漕ぎ出すことになります。

 

現在かなりのスタディをやってるんですが、なかなかいいところに着地しないな~という感じで、こちらも順調に制作が難航しております。

 

YOSTEBITSはまだ序章中の序章。

 

世捨人どもよ楽しみにしておけ!

 

 

 

さて、話は打って変わって…というよりTwitterに書きたかったことをぼやーっと、つらつらと。

 

フラフラしているのは私だけに限った話ではなく、周りにはそんな人々がぞろぞろいらっしゃいます。年齢問わず。

 

私はネガティブモードに突入しても、最終的にはお前ら全員愛してるぜbaby的なポジティブ楽観論に着地するだけマシなんですが、そうではないずっと鬱屈してらっしゃる方もいらっしゃいます(それも歳下より歳上に多い!)

 

私には作ることがあったから、というか作らないとやってられないというのが心情なんですが、作る必要のない、引いては作り物に接する必要のない生き方はさぞ幸せなんだろうなあ、と羨ましがっていた頃もありました。

 

今はもうしようがないんで、羨むことすら無くなりましたが。

 

いやね、そんな大層なものを作ってる気はないんですよ。

 

家族にステッカーに見せても、「ほう、かわいいね」と一瞬反応はしてくれるものの、「そんなの何に使うの?」っていう懐疑的な反応の方が多い。

 

そうねえ、下らないっちゃ下らないねえ、と思ったりするわけです。

 

だって本心は誰かの為に作ろうと思ってるわけじゃないから。

 

ただ作ってるだけ。

 

手を動かさないとやってられないから。

 

生きる為にやってる習慣のひとつに過ぎません。

 

でもそこに緩く、時に激しく心血を注ぎたいわけなんですよ。

 

どんなつたないグラフィックだろうと、私にはどれも大きな価値を感じるから。

 

なんなんだろうこの感覚、と以前はうまく説明が出来ませんでした。

 

すると前になんかの番組でマツコが言っていることを思い出しました。

 

 

 

「どんなことでもいい。なにかひとつでもいいからやっておくと、いざと言う時に絶望しなくて済む。」

 

 

 

彼は元々引きこもりで、女装をやり始めたことで二丁目に繰り出すようになり、物書きをしていたことが功を奏し、雑誌の編集者となったという経歴があります。

 

ああ、なんかこういう感覚近いな、と。

 

絶望しない為にやってる。

 

私もきっとそうだな…と最近思いながら作ってたんだなーと思ったわけです。

 

作るということは少なからず、何かしらこの世に楽しみや何かを見出したいという心があるから作るんですから。

 

 

 

周りのフラフラしている人達によく言われました。

 

 

 

「君はいいよね。私なんか何も出来ることないよ」って。

 

 

 

 

その度に思うわけです。

 

そんなわけないじゃんと。

 

何も出来ない人が今こうして私と話してるわけないじゃんと。

 

で、実際出来ること聞いていくと、やっぱりあるわけです。

 

「できることあんじゃん」って返すと、

 

 

 

 

「中途半端だし、私なんかより上手い人はいっぱいいる。」

 

 

 

 

他者との比較が入るから、勝手に「出来ないこと」にカテゴライズしてしまう。

 

いやーわかるな。

 

私も多々思い当たる節があります。

 

じゃあ私の中でのそういうことと作ることの差って一体何だったんだろうと考えるわけです。

 

思い至ったのは誇りがあるかどうかでした。

 

私はどんなにちっちゃなグラフィックだろうとそれ相応の誇りはあります。

 

絵の延長にあったもので、そういう意味だともう十何年もやってきたことですから。

 

でも誇りを持つのって難しいよなあ。なかなか。

 

ずーっとやる以外にそういうのってついてこないし。

 

私も誇りを持てずに出来ないと思い込んでたこといっぱいあるし、現に今もそうだし。

 

 

 

でもね、そういう「何も出来ることがない」って思ってる人達に言いたい。

 

そんなことないよ。

 

だってここまできたんだよ。十分立派じゃないか。

 

だから何も出来ないなんて思い込んで欲しかない。

 

誇りを持つことは難しい。

 

でもずっと続けてれば、それなりに出てくるよ。

 

まずは無理せず続けられるようなことから始めよ。

 

いきなり凄いことなんて出来やしないんだから。

 

なんだっていい。なにかひとつでいい。少しずつでいい。休んだっていい。

 

絶望しない為に。なんか始めとこ。

 

 

 

と、人に言い聞かせるようなフリして、自分に言い聞かせております。

 

あらら、何が言いたかったのかよく分からなくなっちゃいました。

 

まあでも大丈夫だよね、きっと。なんとかなる。

 

つらつらとした面倒な文、お粗末様でした。

23歳になりました。

 

こんばんは、ハシモトナオです。

 

 

 

GWの余韻も醒めやらぬ5月7日、23歳になりました。

 

「あれ?そういえば今年何歳になるんだっけ…」と、今年はなぜか何回か自分がいくつになるのか忘れかけてました。

 

新しいこと始めてみたり、人生初改元における改元初の誕生日を迎えたものの、特に目覚しく特別感があるわけでもなく…

 

こんなのんびりしてると、あっという間に来年再来年なんだなー。

 

 

 

さて、「23歳」という言葉で思い出したのが、中学2年生当時の担任の先生のことでした。

 

彼は1年目の新任新米教師、まだ大学も卒業したばかり。

 

それに教師という職業です。

 

中学生という難しい時期を過ごす子供たちを数十人も統率して、それぞれを成長させなければならないという、崇高且つなんとまあ難しいお仕事…。

 

でもそんなの生徒からすれば関係ありません。先生はあくまで先生。

 

妙に気合いが空回りしていた彼は、当時クラス内で敬遠されていました。

 

そして私は第1次暗黒期の真っ只中。半不登校、半保健室通いの毎日で、もう敬遠どころの話ではありません。

 

大して足繁く保健室に来るわけでもない彼を、もはや私は気にも留めていませんでした。

 

 

 

でも今の自分だったら分かる。

 

仕事とはいえ、1年目でそんなガキに接しようなんてなかなか勇気がいる。

 

怖いもの、何言われるか分からないし、たまったもんじゃない。

 

接したところでどうする?

 

教室へ無理やり引き摺り出すか?違う。

 

それともずっとこのままで居させるか?違う。

 

何をしていいのか、何をすればいいのか、絶対分からなくなる。

 

 

 

あの頃は23歳ってもう立派な大人なんだと思ってたけど、全然そんなことなかったんだな。

 

そしてこれからも大人になりきれないまま、30を過ぎ、40を過ぎていくんだろうな。

 

そんなことを思う23歳です。

 

 

 

ごめんね先生、だいぶ困らせたでしょう。

 

「もしかしたらこの子をずっとこのままにさせてしまうんだろうか、俺のせいで」って思わせてたのかもしれない。

 

そんなことないです。

 

二転三転しながら、何をどうすればいいかもわからないまま、それでも何かに向き合いたいとする、あの頃の先生と同じように生きてます。

 

 

 

 

#YOSTEBITS が始まった。

 

ハシナオです。

 

前回の記事から1週ほどしか空いていませんが、ブログ更新です。

 

このブログをいつも読んでくれている方々には大体お察しの内容でしょうが、ちょっとした報告というか、表明というか、そんな感じです。

 

 

 

この度、「YOSTEBITS」という名前でBASEにお店を開設しました。

 

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https://yostebits.theshop.jp/

 

元々去年くらいからの目標のひとつとして、「ステッカー制作と販売に注力する」というのがあったんですが、元々表現の核みたいなものが存在しなかった(だから乃木坂描いてるっていうのもあるんですが)私は、一体どういうものを継続的に打ち出していけるか、というのが壁になっていました。

 

そんな中、私は友人であるモモちゃん(https://twitter.com/momonoeden)とtoshさん(https://twitter.com/kazenohitosh)とbot先生(https://twitter.com/boootty)の4人の「世捨人」というLINEグループで、何かをネタに言葉遊びみたいなことをしている日々が続いておりました。

 

元々この「世捨人」という名称も、一昨年の中野で開催された乃木オタ大所帯飲み会で、真昼間から酒やら肉やら興じている様を、「世捨人」と勝手に呼ぶようになってから、そのままLINEグループの名前になりました。

 

この仲間内で言われる「中野会」を毎年やろうよというノリがあって、そこでよく「世捨人」という言葉をより使い始めるようになります。

 

世捨人の若手である私とモモちゃんにとって、その世捨人の体現者というかアイコンのような存在がtoshさんとbot先生なわけです。

 

そんな2人の会話の中で矢継ぎ早に繰り返されるぶっ飛んだ発想と言葉遊び。

 

私はこの様を「世捨人」そのものだと思うようになり、これらの発想の痕跡をアーカイブしておきたいなと思うようになりました。

 

延長としては乃木坂神話体系もその最たるもののひとつです。

 

https://hashinaofficial.hatenablog.com/entry/2018/06/23/043008

 

やがてそれがステッカー制作というところに繋がり、屋号も「世捨人の」「世捨人達」という意味合いを込めて、「YOSTEBITS」と命名しました。

 

 

 

つまりYOSTEBITSは、この世捨人の4人の会話の中で出てくるアイデアの種を、私がビジュアルに起こしてアイデアへと昇華し、制作、販売していくという構造です。

 

4人がアイデアマンで、それ以降を私が作る。

 

とはいえ私が3人に「やりたい」と言った時も、「いつも通りでいいよ」と言ったので、3人には特に何かを作り出そうとしている感覚は一切ありません笑

 

逆にそれが私の狙いで、居酒屋で繰り出されるようなバカバカしい会話のようにリラックスしている、妙に冴えた状態で撒かれる種を期待している側面があるのです。

 

どうせ作るならバカバカしいものを高い精度で作りたかったので、うまく嵌った感じがします。

 

真面目に不真面目。

 

 

 

そんな世捨人達率いるYOSTEBITSのファーストプロダクト、推し見ナティステッカー。

 

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https://yostebits.theshop.jp/items/18193204

 

最初ですので、私の中心的な趣味である「アイドル」をテーマにしばらく制作しようと考えていて、「アイドルは我々が思うよりファンをあざとく見ている」というところから制作しました。

 

実は初期のアイデアがこういう感じでして、

 

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街の不審者に対する歌舞伎の目の注意広告を元ネタとしていたんですが、如何せん自分が欲しいクオリティまでに達していない。

 

そこで持ってきたアイデアフリーメイソンでお馴染みの、ピラミッドにプロビデンスの目というネタでした。

 

以前乃木坂のマークにプロビデンスの目を作っていたということもあり、

 

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これを山岳などにある三角形の注意標識に見立てて作り直しました。

 

結果的に片目の方が「覗いている」というニュアンスが強くなり、「注意標識」によって配色やフォントにも文脈上の必然性が出てきて、作りやすくなりました。

 

 

 

そんな推し見ナティステッカー、発売から4日にしてSOLD OUT!

 

コネによる情報拡散もあり、期待以上の反応で好調子、本当にありがたいです。

 

今後もこういう調子で少しずつ、ステッカーを作り続けては積み上げていこうと思います。

 

 

 

以上、平成の終わりに始まったYOSTEBITSの話でした。

 

https://twitter.com/YOSTEBITS

 

Twitterアカウントも作ってるんで、良ければ今後も見守っていて欲しいです。

 

 

 

さてさて、増刷もしなきゃだし、Adobe更新分の金も無い。

 

困った困ったと思いつつ、たった1ヶ月の平成31年度が始まります。

春が来る。

 

2019年3月20日、天候晴れのち雨、最高気温21℃。

 

9時。妙に布団が蒸し暑く感じて起きた。

 

12時。バイトまで時間はあるものの、正午を過ぎても妙に気だるい。

 

3時。要領の悪い私は今日も先輩に叱られる。最近いつもよりグサグサ心にくるようになった。

 

6時。自転車を漕ぎながら、マフラーはもう要らないなと思いつつ、帰り道の針葉樹のトンネルを抜けていく。

 

ふと横を見ると、山桜が咲き始めていた。

 

わけもなく涙が出た。ああ、まただ。また今日もだ。

 

そこでハッと気づくように感じ取った。春が来る。

 

 

 

桜。

 

 

 

花見なんて殆どしたことのない私にとって、かつてはただの綺麗な花だった。

 

それが妙に思い入れ始めたのが1年前。

 

https://hashinaofficial.hatenablog.com/entry/2018/03/24/212735

 

堕落しきっていた私にとって唯一強く感じる色を持っていたのが、アパートから出て1分弱の小さな小さな公園に咲いている、満開のソメイヨシノだった。

 

一人暮らしの部屋を出ていく日まで、毎晩その公園のベンチに座っては、街灯に照らされる夜桜を眺めていた。

 

不出来で、必死で、怖くて、情けなくて、壊れて、払われて、かけたくもない迷惑をかけて、何も出来なくて、辛くて、辛くて、辛い。

 

そんな私と至って対照的だった昼の桜はもう見てなんかいられらなかったが、夜桜は不思議と心が落ち着いた。

 

眺めながら、普段私がめったに連絡をよこさない母に電話をかけた。

 

そして泣く泣く言ってしまった。

 

 

 

「生まれてきてごめんなさい。」

 

 

 

言ってしまった。

 

親からすれば最も聞きたくなかったであろう、最低の言葉。

 

電話越しの母の啜り泣く声が聞こえた。

 

そんな日のことを思い出した。

 

 

 

あれから1年。

 

 

 

実家に帰った私は徐々に心を修復させて、少しずつ、少しずつ前に進んできた。

 

もっと真人間として生きたい。

 

ただその一心で。

 

そしてまた桜の気配が、春の気配がやってくる。

 

4月、5月。

 

メンタルが最も敏感になりやすい、鬼門とすら感じる季節。

 

でも進まなきゃ、遅くていいから、たまには立ち止まってもいいから、進みたい。

 

忌々しい春の気配と、抵抗する意志と、受容する意思が混ざり合うように、痛みとなってキンキンと私の頭を掠める。

 

なんだ、もう雨が降ってきやがった。

 

寝られなくてもいいから、今夜も早めに横になろう。

 

ほんの少し。たった1歩。

 

小さく、小さく。

 

もう少しすれば、仲間達に会える。

#ななのこと を終えて。

 

2019年2月23日~24日、西野七瀬さんの乃木坂からの卒業を記念して、有志が集い企画したイラスト展示会、「ななのこと」が催されました。

 

私はその中でディレクション、ロゴを起点としたアートディレクションを担当しました。

 

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キービジュアルであるスケッチブックは、「イラスト展示会」「絵が好きな西野七瀬」「帰り道MVのラストシーン」「伝えたいこと」「記録」といったあらゆる意味が重なって、ロゴとしてひとつの答えに辿り着きました。

 

このスケッチブックはアイコン、ヘッダー、フライヤーといったアカウントブランディングや、スタッフ腕章、テーマボード、キャプションボード、段ボール、ロゴポスターといったビジュアルプロダクトへと展開。

 

今回は展示会自体のクオリティをかなり重視していたので、魅力的なデザインにするというより、作品の邪魔にならず、出来るだけシンプルに、当たり前のことを積み上げていくことを意識しました。

 

これほどの量のデザイン作業をいっぺんにやるのは初めてで、不安もありましたが、なんとかやり遂げることが出来ました…ホッとしたー…

 

 

 

さて、有志による卒業企画というものに参加したのは今回で4回目。

 

伊藤万理華さんの脳外博覧会、生駒里奈さんのまんなか展、若月佑美さんの卒業記念本canvas、そして西野七瀬さんのななのこと。

 

企画をやるにつれ、徐々に重要なポストに置いてもらうことが増え、いまや展示会すべてのグラフィックデザイン、言わばアートディレクションまでさせて頂けるようになりました。

 

これらの企画はメンバーの卒業発表からカウンター的に企画が発生し、終了を卒業と同じタイミングに重ねることが大半になっているので、そのどれもが時間の制約が厳しい状況からスタートします。

 

今回も友人である主催のどいや【公爵】の招集を受けたのが開催の1ヶ月前、イラストとロゴとディレクションの依頼でした。

 

ここまでのレベルの企画を誰かとやるというのは確実に問題や障壁が発生します。

 

それが仕事としての間柄なら問題無いんですが、趣味の繋がりによる友人たちとの企画ですから、下手をすれば仲が悪くなり、最悪だと縁が切れてしまう可能性もあります。

 

だから私は覚悟をしました。

 

何がなんでも成功をさせる。

 

何がなんでもやり抜く。

 

それが情熱を持つ彼が私に頼んでくれたことの重さに対するカウンターであると。

 

実際、当初はロゴだけだったものが、途中で周囲にデザインが出来る人間が少なすぎると気づき、気がつけばデザインを全て手がけることになりました。

 

走り続けた1ヶ月、どこもかしこもヤマの連続でずっと大変でしたが、楽しかったです。

 

 

 

前述した通り、卒業企画に参加したのは今回で4回目。

 

どれもメンバーの卒業発表から企画の発想がスタートしますが、そう上手くは進みません。

 

卒業という事実をファン側が受け入れること自体にすごく時間がかかったりしますし、そこで企画の根幹を考えなければならない、という状況です。

 

ここをクリア出来なければいけないという、ある意味こういう企画の最大のヤマがこのスタートラインにあるのかもしれません。

 

そもそもこういう企画は仕事ではないので、別にやる必要はない。

 

あくまで趣味の一環。

 

それでも、卒業というものに対する虚無感、ここで何かを返したいという想いが、各企画の主催にあった気がします。

 

以前こういう状況に対して、canvasとななのことで一緒に企画をやった編集担当のモモと話し合ったことがあります。

 

「卒業企画という形だから色々無理が出てくる。だったらメンバーの在籍中に何かファンとしてのひとつの答えを提示する企画をやった方がいいんじゃないか。」

 

48、46といった秋元康アイドルを筆頭とした「処女性」のようなものをひとつの売りにしている現代の女性アイドルというのはあまりに短命。

 

本来ならばそんなに早く卒業しなくてもいいはずだと思うのですが。

 

でもファンには、そんなことどうしようもない。

 

アイドルじゃないから。ただのファンだから。

 

ならば、何かをやるならば、今から考えなければならない。

 

いつ誰が卒業するかなんて誰にも分からない。

 

もちろん何もしないというのもひとつの答え。

 

まさにこの今から、考えたい。

 

妙に急かされる気もするのは嫌気が差す。

 

そろそろ「卒業」から卒業したい。

 

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