ハシモトナオのブログ

ハシモトナオ a.k.a. グラフィックゴリラの個人ブログ。

無断使用のちょっと変わったお話。

 

新年あけましておめでとうございます。

2019年もハシナオこと、ハシモトナオをよろしくお願い致します。

 

 

さて、新年の御挨拶も早々に、タイトルからしてちょっとピリッとした話題かと思われるかもしれませんが、決してそうではございません。

とある方との少し変わった出会いのお話でございます。

 

 

私も2年以上、乃木坂のファンアート・二次創作活動を続けて参りまして、お陰様で比較的多くの方々に名前と作品を知って頂けているという状況でして、非常にありがたい次第でございます。

その分、作品をアイコン等に無断使用されるというのも、決して珍しくはございません。

とはいえ私自身もニコ動・YouTubeのMAD文化に触れて育ってまいりまして、二次創作者という立場もあって、商用利用でもない限り、そういう事案に対して出来る限り寛容な姿勢を保っております。

 

 

そんな中、あるアカウントが私が描いたイラストをアイコンに使用してらっしゃるのを見かけました。

推しに自分の好きなブランドの服を着せたという旨のイラストです。

前述の通り、私はそのアカウントをしばらく傍観しておりました。

ここまではいつも通りでした。

するとどうでしょう、しばらくするとそのアイコンはイラストにそのブランドロゴを挿入するという加工が施されたものにアップデートされていたわけです。

 

 

その時、私は「面白い!」とシンプルに感じたわけです。

まず作品に対するリスペクト。元々イラストの下に小さくブランド名を入れてはおりましたが、一瞬見たら気づかないくらい。

そこをきちんと汲み取って、推しの上半身が丸枠のアイコンに収まりつつ、そのブランドロゴの情報も挿入していたわけです。

 

 

これは所謂、「三次創作」。

あくまで法的観念を乗り越えた上での話ですが、私は非常に感心してしまいました。

まず三次創作なんてものは殆ど見たことが無かった上、しかもそこに自分が作品が中間として存在している。

実に不思議な気持ちでした。

 

 

私個人の考えも込みですが、作品とは作者の存在から離れてこそ、初めて作品として成立するという考えを持っています。

かつてニコ動を席巻した「IKZO」ブーム。

日本初ヒットのラップだと言われる「俺ら東京さ行ぐだ」は、かつてニコ動を中心とした動画メディアでPerfumeCapsuleBeastie Boysといった楽曲とのRemixが数多く発表され、それを知った吉幾三本人は怒るどころか「自分の知らないところでそんなことが起きてるなんて!面白い!」と反応し、自ら素材になるようなパフォーマンスをしたという話があります。

この話が大好きだった私にとって、この出来事は実にセンセーショナルでした。

 

 

アカウントの様子を見る限り、その方は私よりも若く、よく私のツイートにもマメにいいねをくださっていたこともあり、「特に悪意もなさそうだし、面白いし、まあいっかw」と思い、たまに覗くことにしましたが、しばらく具体的な接触はありませんでした。

 

 

月日は流れ、昨年の12月。

年の瀬だったこともあり、「#12月になったのでいいねした人に一言」のツイートをして、今年もありがとうございましたと挨拶に回っておりました。

するとその方がいいねを下さり、ここで私から初めて接触を試みることにしました。

 

 

いいねした人全員にリプを返しても、リプ返しが無い方がいらっしゃるのは珍しくはなかったので、「特に返信も無いんだろうな~」なんて考えていると、

通知が、ポンッ。

その方からDMを通してメッセージを頂きました。

誠に勝手ながら貼らせて頂きますが、その方が送って下さったメッセージは以下の通りです。

 

 

「いいねのやつ、ありがとうございます🙇‍♂️まさかそんなこと覚えてくださってるなんて、嬉しいです!今思えば、無断転用に勝手に加工したりしてて、とても失礼なことしてましたね😅すみませんでした!
ハシナオさんの絵柄好きなのでこれからもイラスト楽しみにしてます!

長文すみませんでした🙇‍♂️」

 

 

嬉しかった。

あの後無断使用のことを知ったのでしょう、謝った上でこれからも楽しみにしていると伝えて下さいました。

 

 

ここから何を学ぶかなんてこと全く考えてもおりませんが、無断使用に関する案件でよく回ってくるツイートはDMで言い合いになり、あまりよくない結末ばかりでしたので、実に新鮮な体験でした。

二次創作やってると、こんなこともあるのか笑、と。

 

 

新年早々、無断使用から始まった、ちょっと変わった体験と出会いのお話でした。

多忙な時期ほど、やりたい事は重なってくる。

 

ハシナオです。

 

今年もあと2ヶ月、なんて言ってる間に年は過ぎていきます。

 

ボヤ騒ぎが多発した渋谷ハロウィンの夜もあっという間に過ぎ去り、山間部に属する我が家の夜は毛布と暖房が必須です。

 

 

 

さて、呑気にブログを書いているように見られがちですが、実は定期的にくる繁忙期(?)に入っておりまして。

 

今仕事と仕事(?)の合間にこれを書いております。

 

依頼などもあったりするのですが、それがひとつふたつポンポンとやってくるのではなく、大抵同時に一気にやってくる。

 

10以上のやることがあって、今のところその半分を済ませたくらいです。

 

 

 

そんな中、作ってしまった。

 

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作ってしまいました。

 

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ささきとすずきTシャツ。

 

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元々グッズを作るのは好きで、以前東京にいた時は御茶ノ水の同人工房というところでよく作っておりました。

 

それでいずれオリジナルのグッズを展開して販売したいなという淡い気持ちが芽生えまして、それが今回何の弾みだったかはよく覚えていませんが、いつの間にかSUZURIで始めてしまいました。

 

これに関してもあくまでオリジナルの制作物として販売しておりまして、ひらがなで「ささきとすずき」と書かれたTシャツです。

 

文字のカラーは3種類で白、黒、朱の長袖、半袖、計6種類のラインナップとなっております。

 

一般的な通販と同様、アイテム選択後にお好きなカラーを選べるようになっておりますが、印刷の関係上、綺麗に印刷されるのがサムネイル(上の画像)に使用しているカラーですので、そちらをオススメしております。

 

今回はお試しがてらの一発目としてこんなものを作っていますが、今後も創作物として色々展開していければと思っております。

 

発売から今日で3日目ですが、既に20枚近く売れております、感謝。

 

 

 

このように研究期間中だったのにも関わらず、やることなすことが増えてきて、そんな中でやりたい事も重なってきまして。

 

これは現実逃避というよりも、「多動」の状態、言わばやる気スイッチONの状態にあるので、それ故に脳からドーパミンが出まくっているという感じですね。

 

動くからこそ、色んなことが頭の中から出てくる。

 

何も思いつかない時、散歩するとアイデアが浮かんでくるのと似ています。

 

逆に言うと、何もしない時ほど何も浮かんでこない。

 

実際「不動」の状態にある時は、いっつもロクでもない非生産的なことばかり考えてしまいます。

 

だから「いい意味で忙しい」というのも、ありがたいことです。

 

Procreateがアップデート出来ず、アプリが開けなくて、今のところ気分はよろしくないですけど、そんなことを思った金曜日でした。

 

 

 

さて、仕事に戻ります。

 

 

 

あ、ささきとすずきTシャツですが、下のリンクからご購入出来ます。

 

販売期間などは決めていないので、いつでもお好きな時に、気になった時に見て頂ければ幸いです。

 

https://suzuri.jp/hasynao

 

 

 

それでは。

ハシナオ研究中。

 

こんばんは、ハシナオです。

 

最近絵を描くペースが落ちているように見えがちですが、実際絵はスケッチブックに落描きやら毎日描いています笑

 

季節は秋、というよりも冬の到来を間近に感じており、今年もあと2ヶ月ちょいという事実に若干引いています笑

 

 

 

 

さて、去年と同じく自分の絵柄に対して色んなことを考え、試行錯誤する期間に入りました。

 

去年はずっと色んな絵柄を試して、今年は絵柄を固定して細かい部分で実験してみたりとそんなことを繰り返していました。

 

今年固定した絵柄というものが主に線で、フラット且つグルーブのようなものを感じられる線が出来ないかと考えて出来上がったのが、あのチョークのような線でした。

 

実際今年は私の絵に対する周囲の方々の感想が、 線について語って頂いてるものが多かったです。

 

それで「とりあえず線はこのままでいこう」ということになり、次の段階を踏もうということになりました。

 

今は去年と同じく周囲の絵描きさんや、好きな絵描きさんの気になった絵を大量にインプットしています。

 

インプットですから、観察の徹底、構造の理解、スケッチの作業に追われています。

 

「これがこうなっているから、こういう風に見えている」とか、そんな感じです。

 

 

 

 

そして次にやろうと思っているのが、インプットしたものの体系化。

 

これが凄く重要で、共通項を見出したり、差別化したりを繰り返していって、今の自分の絵と比較していき、そこから自分の絵に足りない要素を見出していきます。

 

今なんとなく当て勘で「足りないものって恐らくデフォルメなんじゃないかなー」って思ってます。

 

実感として、今年は模写のように観察したものをそのまま画面に定着することが多かったので、デフォルメに関しては一切何も考えてなかったなという印象で、それが凄くマズかったり、悩ましく感じたりすることが多かったです。

 

いよいよデフォルメに向き合うか...という感じです笑

 

 

 

 

そんなこんなで日々インプットを繰り返していますが、その中で思うのが「みんなどんな紆余曲折を経てこの絵柄になったんだろう?」というのがあります。

 

私はどちらかというと「こうした方が気持ちいい」という感覚から、「なぜ気持ちいいか?」ということを考えたくなる性分なので、絵柄を形作っていくプロセスがかなりハッキリしてる方なのかなと勝手に思ってるわけです。

 

じゃあ周りはどうやってその絵柄に辿り着いたのか。

 

シンプルに好きな作家を真似して、それを組み合わせていって辿り着いたのか。

 

じゃあどんな作家が好きで、どういう部分を吸収したのか。

 

これは割と常日頃思っていることで、もしこのブログを見た絵描きさんがいれば、是非お聞きしたいなと思っております。

 

 

 

 

それでは、また。

アイドルの二次創作の表現問題。

 

ハシナオです。

 

2ヶ月ぶりのブログなんですが、更新頻度少なめとはいえ、ブログ始めてもうこんなに期間経ってたんだと実感しております。

 

時は9月。夏も終わりかけ、夜には秋風が微かに頬を撫でる頃合でございます。

 

9月13日。一推しの大園桃子さんの誕生日。

 

9月27日からの東京、29日の今年最も楽しみにしているイベント、中野会。

 

それらの準備に慌ただしく奔走する初旬でございます。

 

 

 

 

さて、今回はアイドルの二次創作についてです。

 

先月、アイドルの二次創作の話題で少々耳にしたのが「表現」の問題でした。

 

「絵描きの方々で一部、メンバーを軽んじ過ぎた描写をされる方々がいらっしゃる」や、「加工やトレスはただのRT稼ぎ」といったこの手の話題は前々から何度も上がっては議論が巻き起こったり、私自身も各所で意見を述べたりして参りました。

 

かつてはそういった議論の摩擦を減らしたりする事が出来るようになればという目的も含めて、ある企画を起こそうとしたりしていましたが、それもタイミングが悪く頓挫し...。

 

今回私はそれに対する、あくまで個人的な見解を述べさせて頂きます。

 

 

 

 

まず語るべきなのが、根本的に「二次創作とは」についてです。

 

昨今の46グループの二次創作で挙げられるのが、絵(ファンアート)、漫画、画像加工、音源編集、小説、妄想ツイートなどが例として挙げられます。

 

この「二次創作」という大きな枠組みの中で、画像加工やエログロ百合系の妄想ツイートに対する批判などが展開されている訳なのですが、これらが「アウト」か「セーフ」かという話になると、極端に言ってしまえば全て「アウト」です。

 

「著名な人物名・団体名を許諾無く使用、或いはキャプションとして挿入している表現物を公共の場に公開する」ということ自体が既に「アウト」の領域に入っています。

 

二次創作のベースにあるのはあくまでアングラであり、当然それは私のような絵描きも例外ではありません。

 

更に画像における肖像権の問題も絡めていくと、イラスト<模写<トレス<画像加工という順に元の画像の純度が高ければ高いほど、肖像権に抵触する可能性は高まります。

 

現状、公開のみで権利者に立件されることはあまり無いですが、商売として利用している場合は、立件される可能性が高いです。

 

ではなぜ公開で許される現状があるのかと言いますと、二次創作によってファンとの交流が深まったり、宣伝効果があり、権利者に有益であるというのがひとつ。

 

もうひとつがインターネット上での話になりますが、コピペ文化といったものをベースに発展してきたインターネットにこれ以上法律で知的財産権における規制を拡大してしまうと、確実に発展率が急降下することが予測されるからです。(それでも2010年代で規制はかなり厳しくなりました。)

 

 

 

 

ここで「知的財産権における規制の拡大」という話が出ましたが、これは最早二次創作の領域に留まりません。

 

例えばYouTubeTwitterにアップされた動画。

 

私達は少なからず目にすることがあるでしょうが、そのうちのいくつが違法アップされたものか数えたことがあるでしょうか。

 

こういったものは視聴するだけでも違法の領域に入ります。

 

TwitterSNSに自分がアップする画像にしてもそうです。

 

「ネットの画像検索から拾ってきた」というものは誰しも1度は経験があるでしょう。

 

そうです、インターネットを使い続けていく上で、「法に抵触しない」なんてことは、余程の注意力がない限り有り得ない。

 

しかし、インターネットはそうやって発展してきた背景があり、時代を動かしています。

 

 

 

 

さて、話を二次創作に戻しましょう。

 

絵描きを含めた二次創作者が「真っ白な善良な市民」ではないと分かった今、どこまでの表現が許され、批判を受けたりすることもないのでしょうか?

 

私の答えは「表現してはいけないものなんてない、しかし『表現』と『公開』は別」です。

 

個人的に楽しむ領域の二次創作物に規制がかかるとすると、それは最早思想警察であり、「表現の自由」を許さないものです。

 

エロだろうがグロだろうが、「表現」は規制されるべきではありません。

 

しかし「公開」となると別で、ここはもう人によって感性が違いますから、仕方がありません。

 

私も実際「メンバーを絵に描き起こすということ自体気に食わない」という方を遠目で伺うことがありました。

 

だから私もアカウント立ち上げ当初、「多少の批判は覚悟しよう」という気持ちを持って取り組んで参りました。

 

だから絵の内容を考えるところから公開する一歩手前まで、どのような反応が返って来るか想定し続けます。

 

逆に個人的に気に食わない表現があるものに触れたりしたら、距離を取ったり、あまり言及しないようにする。

 

そこで食ってかかる時点で平行線なのは見え透いていますから、一々喧嘩を吹っかけるのはナンセンスです。

 

理解する必要はないけれど、存在は認めるべきだと思います。

 

 

 

 

話が少し変わりますが、無断転載やアイコンなどへの転用といった問題も制作者本人が考慮して、どのような対応をとるか判断するべきだと思います。

 

周囲が囃し立てるのもあまり良くない。

 

私も自分の絵が何の声掛けも無しにアイコンに使用されたりということは、結構な頻度であります。(最近はスルーしてますが)

面白かったのが、イラストに某スポーツブランドのロゴと合わせて加工した方!

これはシンプルに面白がって傍観していました笑

 

私はどちらかというと、自分のものに対しては多少許容する心を持って、楽しむ側に回りたいと思います。

白米様から始まる乃木坂神話体系。

 

オタクという生き物は推しを称賛する際、「〇〇は神」や「〇〇は〇〇」などと神に準えたり、或いは時代の偉人やスターなどに形容したりするものだ。

 

今回はそういった類の話で、友人達と共に定期的に考察し、引き伸ばし、更新してきた神話体系、言わば「乃木坂神話体系」について話していく。

 

正直マトモな人間ではついていけない内容、というか単に全力でバカな話をするだけなので、そういう方には是非とも即刻ページを閉じることをお勧めする。

 

 

さて、事の発端は乃木坂の中でも代表的な軍団であるさゆりんご軍団のデビュー曲「白米様」だ。

 

伊東衆人監督のMVでお馴染みの白米様だが、これは乃木坂工事中内でも定期的に話題に上ることがある。

 

特筆すべきは2016/12/18放送 乃木坂工事中 #85「まだまだいるよ 乃木坂46 隠れた逸材を探そう!」と2016/12/25放送 乃木坂工事中 #86「乃木坂流行語大賞 2016」であり、2週に渡って白米様について触れられている。

 

 

#85では食いしん坊キャラとして持ち上げられた伊藤かりんが、過去の日村勇紀が白米様を聴いての発言を元に、日村勇紀とどちらが白米が好きかという事で互いのアピールが始まる。

 

その中で日村勇紀は「俺、米なのよ!」と発言し、テロップでは「リアル白米様?」と表示され、そこに設楽統が「日村さんは米なのよ。ヒムヒカリっていうね。」と乗っかってくる。

 

つまりこの時点で番組内では「日村勇紀=白米様」という図式が形を成し始める。

 

 

そして翌週の放送である#86、ここでもさゆりんご軍団の話題を引っ張ってきたのは伊藤かりんであり、既に彼女はこれから片鱗を見せ始める神話の語り部と言っても過言ではないだろう。

 

ここでバトンを受け取った軍団長こと松村沙友理は、白米様は2人存在すると発言する。

 

1人は「『白』と『麻衣』で白米様」という理由から、白石麻衣

 

もう1人が「体のシルエットがご飯みたい」という理由から、日村勇紀

 

つまりここで#85の「リアル白米様?」の伏線が回収されたこととなり、「日村勇紀=白米様」は確固たるものとなった。

 

下の画像は私が当時それらに基づいて制作したファンアートであり、神札(ステッカー)用、御本尊(A1ポスター)用にベクタ化して再編集したものである。

 

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因みにこの白米様の衣装は、白米様の実際の衣装の紅白を反転させたカラーリングとなっており、あらゆる白米としての要素を散りばめた。

 

 

さて、ここで白米様とは白石麻衣日村勇紀であることが判明したわけだが、他にも白米様は存在しているのか?

 

実は存在しているのだ。

 

2015/10/5放送 乃木坂工事中 #24「おもいっきりななみん電話/視聴者のお悩みに全員で回答」と、2017/1/15放送 乃木坂工事中 #88「新成人をお祝いしよう 2017」にて、日村勇紀との共通点、相似関係を見出され、遂には「ミニ日村」とまで呼ばれた、生田絵梨花その人である。

 

日村勇紀=白米様」という図式が成立している時点で、ミニ日村である生田絵梨花もまた白米様であり、ビッグ生田:ミニ日村の関係である以上、日村勇紀生田絵梨花のソウルブラザーということになるのだ。

 

更に言うと白米様を崇める軍団長である松村沙友理とは「からあげ姉妹」の関係であり、よりこの関係性は密接なものとなっていく。

 

 

そして、白米様はまだ他にも存在している。

 

2017/7/30放送 乃木坂工事中 #115「新Wセンター大園&与田をもっと知ってバックアップしてあげよう!」より、生田絵梨花と全く同じ日村勇紀との共通点を見出され、テロップでは「リアル・ミニ日村」と言わしめた、与田祐希その人である。

 

先述した通りの視点でいくと、当然与田祐希もまた日村勇紀生田絵梨花のソウルブラザーであり、白米様なのだ。

 

ここでふと感じたことなのだが、過去の乃木坂工事中の一連の放送を見ている限りでは、日村勇紀との関係性は生田絵梨花とは少し趣きが違っている。

 

2013/11/10放送 乃木坂って、どこ? #109「在庫一掃!乃木坂46 アンケート祭り」での日村勇紀とのどんぐりころころのハモりや、2015/7/27放送 乃木坂工事中 #14「堀未央奈のゾンビどっきり㊙︎報告/乃木坂監視中/2期生 掘り下げ中」での生田絵梨花が自転車の絵にも関わらず、タイヤを4つ描いた際の驚きの表情など、生田絵梨花日村勇紀は度々共鳴するようなシーンが多々見受けられている。

 

一方の与田祐希はというと、2017/4/16放送 乃木坂工事中 #101「先輩プレゼンツ!3期生PR大作戦 その3」での一輪車に乗りながら軽蔑の視線を送るシーンや、2018/5/20放送 乃木坂工事中 #156「日村さん HAPPY BIRTHDAY企画 乃木坂46手作りプレゼント選手権 後半戦」での激しい肩叩きなど、与田祐希日村勇紀に対して一方的なアクションを試みる傾向にある。

 

この関係性は「巨漢の野獣」と「小さな少女」のような光景にも見えてくるのだが、一番連想しやすいのが「トトロ」と「メイ」の関係だろう。

 

トトロ、実は一説によると五穀豊穣の神と言われているのだ。

 

もうお分かりだろうか?

 

そう、まさしくそれは白米様を指すと考えられるのではないだろうか。

 

ここでトトロ=豊穣神=白米様という連想が出来上がるわけだ。

 

ご存知の通り、となりのトトロでは大中小3匹のトトロが登場する。

 

大トトロこと、ミミンズク。中トトロこと、ズク。小トトロこと、ミン。

 

これは日村勇紀をミミンズクとすると、彼のソウルブラザーである生田絵梨花をズク、同じく与田祐希をミンと当てはめることが出来るのだ。

 

しかしここでトトロ視点に没入してしまうと、与田祐希がメイであると同時にミンであるというパラドックスが発生してしまうのだ。

 

 

ここで一旦、別の視点から与田祐希を見てみよう。

 

「与田」という名字についてだ。

 

田を与えると書いて「与田」、まさしく豊穣を表す言葉である。(生田も然り。)

 

ここで彼女が五穀豊穣の神に仕える巫女(メイ)だと考えてみると、東の大都会へと奉公へ出て、神である日村勇紀生田絵梨花(ミミンズク、ズク)と初めて出逢う。

 

そこで自分もまた彼らの妹であり、神の一族であることに気付かされる。

 

そんな情景が思い浮かぶ。

 

つまり彼女は竹取物語かぐや姫のように、五穀豊穣の神々である白米様の一族から、現世へと人間として送り込まれた遣いなのではないだろうか。

 

つまりここで与田祐希とは白米様であり、白米様に仕える巫女でもあるという考えに至る訳だ。

 

 

さて、白米様は白石麻衣日村勇紀であるということを前提として、日村勇紀の兄妹分として生田絵梨花与田祐希が続くという内容だったが、私としてはこれはまだまだ乃木坂神話体系の氷山の一角に過ぎないと思っている。

 

日村勇紀与田祐希との関係を持つ西野七瀬、そんな彼女が生み出した耳かきの梵天(ブラフマン)の神、どいやさん…関係性から考察していくとキリがない。

 

これからも乃木坂神話体系はドンドン拡大していくだろう。

 

 

余談だが、上記の番組の細かい情報等は、https://n-tool.firebaseapp.com/ を元にサーチした。

 

検索欄にキーワードを入力すると、乃木坂って、どこ?や乃木坂工事中の関連した回などが調べられる、あまりに高度で、あまりに異質なツールだ。

 

興味がある方は是非一度、何か調べたりしたい時はこれを強くお勧めする。

 

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論理と感覚の交差点。

 

ハシモトナオ、戻って参りました。

 

以前ブログでも言った通り、長い間病質に囚われて、ついには趣味である絵にも一時期手につかなかったわけなんですが、改めて病院に行くと、所謂新型うつ→うつに発展していたことが発覚。

 

万年五月病体質ではあるのですが、毎年春先から5月(所謂五月病)がうつ日が増えるピークでしたので、最近徐々に沈静化して、環境を整えたということもあり、社会的現状としては厳しいままですが、とりあえず絵には手がつけれるような段階に入ったということと、絵画治療的な意味も含めまして、一応ここで復帰(私が勝手に言ってるだけ)とさせて頂きます。

 

沢山の「おかえりなさい」の言葉に感謝です。ありがとう。

 

さて、復帰がてらに昨日はささきとすずきの絵などを描いてアップしておりまして。

 

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原点回帰の配色と再定義の世界観重視の絵を描きたくなり、「ステッカーっぽく描こう!」と描いていたわけなんですが…

 

アップしたしばらく後に某乃木絵描きさんが「ナオちゃんの絵を見て、自分の絵のことが掴めた。DMする。」と言ってくださいまして、そこで創作についての話をDMでやり取りしておりました。

 

「長く見てもらえる絵とは何か」

 

コンセプトや構造の重要性、考えて描くということが如何に大事かという話でした。

 

そこから思い出してふとブログに描こうと思ったのが、私が高校3年の頃にクリエイターの本やドキュメンタリー、実体験などを踏まえて打ち立てた創作論、「論理と感覚の交差点」です。

 

クリエイターには主に「論理派」と「感覚派」の2種類のタイプがいる、とよく言われています。

 

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「これをこうすればこう見える」「これはこれを表現する上で向いていない」など、自分のロジックを打ち立てて、自分自身の感覚というものをあまり信用せず、ひたすら理詰めでものづくりをしていく「論理派」。

 

「こっちの方がかっこいい」「あっちの方が気持ちいい」など、自分の感性を信じて、直感でその場その場で選択をしていく「感覚派」。

 

ものづくりがその時そのテーマで答えが存在しているという前提で話を進めていきますが、実はこのどちらのタイプとも最終的には同じ答えにたどり着くのではないか、という考え方です。

 

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一見真逆とも思えるそれぞれのアプローチは、実は脳の奥底で繋がっている。

 

水野学の「センスは知識で出来ている」でも、センスとは自分が持っている知識量から判断されていくものであり、決して天性のものではないと明言されています。

 

つまり、感覚は論理によって翻訳が可能であり、逆も然りなのではないか、ということです。

 

「論理」と「感覚」、それぞれの道(アプローチ)は違えど、目指す場所(答え)は同じ。

 

そこである考えがひとつ浮かぶわけです。

 

「論理でも感覚でもどちらでもアプローチ可能な創作こそ、確実に答えに到達でき、最強なのではないか?」

 

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つまり常に双方向からアプローチをしていき、片方で考えや選択に迷いが生じた場合は、もう片方のアプローチでそれを補っていき、確実に答えへと辿り着いていく、ということです。

 

これを私は「論理」と「感覚」のふたつのベクトルが「答え」という交差点を目指すという意味で、「論理と感覚の交差点」と呼んでいます。

 

それから4年ほど、この考え方で実証をやっているわけなんですが、実はこの「論理」と「感覚」のアプローチが研鑽を重ねていくことによって、やがて「経験則」というひとつのかたちへと統合されていくのではないかということに途中で気付いたり、あらゆる人達の手法を聴いて照らし合わせて、それぞれが違う言い方をしているだけで、かなり近い考え方もあるなと感じたり、実際に手数を重ねていくことで、この手法も段々と板についてくるようになりました。

 

ざっとこんな感じです。昨晩のDMの一件で思い出したので、メモがてらに記しておきました。

 

これからもこの実証などを含めて、皆さんの創作論や手法などを聴いてみたいと思っております。

 

さてさて、私は次の課題にとりかかなければ…

「ハシモトナオ」を始めた理由。

「ハシモトナオ」のアカウントを開設して、もうすぐ1年と半年が経過しようとしている。

 

このアカウントでは乃木坂46のファンアート、やがて欅坂46含めた坂道グループのファンアートをアップし続けてきた。

 

それがどういう経緯で始まったのか、最近辿って思い出すことが多くなった。

 

思えば子供の頃から絵を描くのが好きで、小学生の頃はA4用紙にセロハンテープで繋ぎ合わせたギャグ漫画を何冊か作って友達に見せたり、既に絵は自分にとっての習慣のひとつであり、コミュニケーションの手段だった。

 

高校はデザイン科を選択し、いざそこに入ってみると、才能を持った人々が続々と集まっていた。

 

なんせまだ高校生。

 

中学生の頃からデザイナーやアートディレクターになりたいと思ってデザイン科に入ってくる人など稀である。

 

大抵は絵が好きという理由だけで入ってくる子が大半で、私もその一人だった。

 

そうなると当然絵の上手い学生なんてごろごろいる。

 

私もそこそこ上手い方ではあった。

 

しかし「絶対この人には敵わない」という人が1人いた。

 

デッサンも16歳にして舌を巻くほど上手く、透明水彩の扱いもそれは見事。

 

平面構成も、スーパーリアリズムも、ケチのつけようがない。

 

まだ戦い方を知らなかった私は「絵の道は諦めよう」と思った。

 

「別の道を選ぶしかない」と思い、やがてデザインを勉強し始めた。

 

そこから数年間ずっとデザインのことのみ考えるようにした。

 

絵のことなどさっぱり諦めた気になっていた。

 

しかし心のどこかで妙に引っかかっている自分もいた。

 

それが仇となったのか、ある時期からしばらくボーッとするような日々が続いた。

 

虚無感。無気力感。

 

自分でヤバいと思いながら、じっと動けず、燻り続けていた。

 

当然それは現実にもあらゆる側面で支障をきたし始めていた。

 

そんな中、Twitterを数ヶ月ぶりに見ていたある日のことだ。

 

乃木坂のファンアートの世界を知ったのだ。

 

元々乃木坂が好きだったこともあり、関連のツイートを辿るように眺めていた。

 

しばらく調べていると、面白いものを作っている人を見つけた。

 

正方形の規格の中心に16:9のサイズでメンバーを配置し、服に見合ったスニーカーを履かせている。

 

それを何枚も何枚も数珠繋ぎでアップしている。

 

面白いなーと思いつつ、ふと自分の手元を見下ろした。

 

ラクガキをしていた。

 

無意識だった。

 

何年も描き続け、習慣化していた絵描きから完全に脱することなど出来ない、と気づいた。

 

既に絵を描く道へ引き戻されかけていたのだ。

 

この時、自分の宿命を悟った。

 

「また絵を描こう。」

 

そんな想いでアカウントを開設した。

 

同時に、どうすれば面白いものを作れるか考えてみた。

 

絵をいろんな人に見てもらえるかもしれないし、もしかすると絵の仕事が出来るようになるかもしれない。

 

自分を掘り下げてみると、絵を諦めた結果獲得したデザインの知識、作り方、そんなものを持っていた。

 

「これを活かしてみよう」と思い、絵に対するブランクがある分、その知識をできる限り注力し始めた。

 

反応は想像以上に早かった。

 

細々と始まるものかと思っていたものが、色んな人に絵を見てもらえるようになり、それどころか沢山の人々と実際に会い始めるような日々が始まった。

 

沢山の企画に参加させて貰えたし、いろんな方々に知って頂けた。

 

トントン拍子だった。

 

それと同時に、現実の生活で苦悶し続けている自分とのギャップに困惑していた。

 

あとは以前Twitterやブログに書いた通り。

 

地元に戻る決断を下し、休みながらも見つめ直す日々が始まり、今に至る。

 

この過程を長い目で見ていくと、絵を描くことに再び目覚めたことにより、あるポイントから引き返し始めている自分がいることに気がついた。

 

どこで何を間違えたのかは分からないし、そもそも選択自体、過程自体、間違っていなかったんじゃないかとも思う。

 

引き返していく過程で間違いなく私はあらゆる人、物、事を引っ提げてきた。

 

どこまで引き返そうとも0ではない、少なくとも1はこの手元にある。

 

その価値ある1をどのように還元していくか。

 

私は過去の選択を過ちではなかったと信じる為に、この1を還元して前に突き進んでいきたい!

 

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2016/11/15 ぐるぐるカーテン ファンアート/ハシモトナオ名義で最初にアップした絵。